|
不動産売買において,売買契約書を締結前に買主候補者から買付証明書や売主から売渡承諾書が交付された場合,法的拘束力を有するか。
| 解説 |
1.買付証明書・売渡承諾書とは
不動産の所有者が,物件の売却のため買主候補者を募集する際,買主候補者が宅建業者等の事業者の場合には,不動産取引の慣例で,買主候補者から「買付証明書」(買受申込書)を差し入れてもらうのが通例です。
買付証明書とは,買主候補者が購入希望価格や希望する決済時期及び決済方法等の基本条件を記載して売主側に交付する書面のことです。
そして,売主は,買付証明書を交付してきた買主候補者の中から,売主側の希望金額や条件に見合う候補者を選んで,その候補者に売り渡す意思があることを示すため,売主が希望する基本条件を記載した「売渡承諾書」を買主候補者に交付します。
この点,民法の大原則としては,契約は申込の意思表示と承諾の意思表示の合致があれば口頭でも成立しますが(民法522条),とりわけ宅建業者等の事業者が買主又は売主となる宅地又は建物の売買契約においては,買付証明書や売渡承諾書の授受があってもその後に売買契約書の作成が予定されているため(宅建業法37条参照,78条2項反対解釈),売買契約書の作成・締結がされないうちは,未だ正式な契約成立とはみなされないのが不動産業界では一般的です。
この考え方は判例実務上もほぼ確立しているといえます(【東京地裁昭和63年2月29日判決】【大阪高裁平成2年4月26日判決】【名古屋地裁平成4年10月28日判決】【東京地裁平成22年1月15日判決】。なお,売買予約ともならないことにつき【東京地裁昭和59年12月12日判決】)。
不動産業界におけるこのような慣行について,もともと売渡承諾書や買付証明書は,大規模かつ高額な事業用物件の売買で開発業者や仲介業者が使用していたものが,その後,中古住宅の流通業界でも一般に使われるようになったことに由来するといわれています(岡本正治ほか『不動産売買の紛争類型と事案分析の手法』〔大成出版社 2017年〕168頁)。
もっとも,「売渡承諾書」や「買付証明書」との表題自体はその法的意味を正しく示しているとはいえず,そのため,「不動産売買の取引知識や経験の乏しい一般の消費者は,買付証明書等への署名捺印と交換をもって売買契約が成立したかのような誤解をしがちである。そのため売渡承諾書や買付証明書を交わした後に契約を打ち切ろうとしても仲介業者や相手方からすでに売買契約が成立していると強弁されると反論できず,不当に契約締結を強いられるという紛争の要因ともなっている」との指摘もされています(岡本正治ほか『不動産売買の紛争類型と事案分析の手法』〔大成出版社 2017年〕168頁。なお,同書では「売渡承諾書や買付証明書の交付をもって売買契約の成立を認めた裁判例はないようである」ともしています)。
【民法522条】
1 契約は、契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示(以下「申込み」という。)に対して相手方が承諾をしたときに成立する。
2 契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない。
【宅建業法37条】
宅地建物取引業者は、宅地又は建物の売買又は交換に関し、自ら当事者として契約を締結したときはその相手方に、当事者を代理して契約を締結したときはその相手方及び代理を依頼した者に、その媒介により契約が成立したときは当該契約の各当事者に、遅滞なく、次に掲げる事項を記載した書面を交付しなければならない。
一 当事者の氏名(法人にあつては、その名称)及び住所
二 当該宅地の所在、地番その他当該宅地を特定するために必要な表示又は当該建物の所在、種類、構造その他当該建物を特定するために必要な表示
二の二 当該建物が既存の建物であるときは、建物の構造耐力上主要な部分等の状況について当事者の双方が確認した事項
三 代金又は交換差金の額並びにその支払の時期及び方法
四 宅地又は建物の引渡しの時期
五 移転登記の申請の時期
六 代金及び交換差金以外の金銭の授受に関する定めがあるときは、その額並びに当該金銭の授受の時期及び目的
七 契約の解除に関する定めがあるときは、その内容
八 損害賠償額の予定又は違約金に関する定めがあるときは、その内容
九 代金又は交換差金についての金銭の貸借のあつせんに関する定めがある場合においては、当該あつせんに係る金銭の貸借が成立しないときの措置
十 天災その他不可抗力による損害の負担に関する定めがあるときは、その内容
十一 当該宅地若しくは建物が種類若しくは品質に関して契約の内容に適合しない場合におけるその不適合を担保すべき責任又は当該責任の履行に関して講ずべき保証保険契約の締結その他の措置についての定めがあるときは、その内容
十二 当該宅地又は建物に係る租税その他の公課の負担に関する定めがあるときは、その内容
【宅建業法78条2項】
第三十三条の二及び第三十七条の二から第四十三条までの規定は、宅地建物取引業者相互間の取引については、適用しない。
【東京地裁昭和59年12月12日判決】
売渡承諾書については、売買契約の交渉段階において、交渉を円滑にするため、その過程でまとまつた取引条件の内容を文書化し明確にしたものと解するのが相当であつて、特に、債務者には、借家人らの立退問題を未解決のまま、売渡承諾書の交付をもつて、直ちに売買契約あるいは売買予約を成立させようとする意思が存在していたとは認められないことなどが認められ、右認定に加えて、交渉の経緯等の諸事情を考慮すると、本件における売渡承諾書は交渉を円滑にするため既に合意に達した取引条件を明確にしたにすぎないもので、昭和五五年一二月一六日、借家人らの立退問題が解決されず、そのために契約締結時期について対立したまま債権者と債務者との本件土地建物の取引交渉は中止されており、債権者と債務者との間の本件土地建物の売買の交渉の過程のいずれかの時点において本件土地建物に関する売買契約または売買予約等何らかの契約が成立したことを認めることはできないものといわざるをえない。
【東京地裁昭和63年2月29日判決】
売買契約が成立するためには、当事者双方が売買契約の成立目的としてなした確定的な意思表示が合致することが必要であるが、証人の証言及び弁論の全趣旨によれば、不動産売買、とりわけ本件のように高額な不動産売買の交渉過程においては、当事者間で多数回の交渉が積み重ねられ、その間に代金額等の基本条件を中心に細目にわたる様々な条件が次第に煮詰められ、売買の基本条件の概略について合意に達した段階で、確認のために当事者双方がそれぞれ買付証明書と売渡承諾書を作成して取り交わしたうえ、更に交渉を重ね、細目にわたる具体的な条件総てについて合意に達したところで最終的に正式な売買契約書の作成に至るのが通例であることが認められるから、こうした不動産売買の交渉過程において、当事者双方が売買の目的物及び代金等の基本条件の概略について合意に達した段階で当事者双方がその内容を買付証明書及び売渡承諾書として書面化し、それらを取り交わしたとしても、なお未調整の条件についての交渉を継続し、その後に正式な売買契約書を作成することが予定されている限り、通常、右売買契約書の作成に至るまでは,今なお当事者双方の確定的な意思表示が留保されており、売買契約は成立するに至っていないと解すべきである。
【大阪高裁平成2年4月26日判決】
(1)いわゆる買付証明書は、不動産の買主と売主とが全く会わず、不動産売買について何らの交渉もしないで発行されることもあること、(2)したがって、一般に、不動産を一定の条件で買い受ける旨記載した買付証明書は、これにより、当該不動産を右買付証明書に記載の条件で確定的に買い受ける旨の申込みの意思表示をしたものではなく、単に、当該不動産を将来買い受ける希望がある旨を表示するものにすぎないこと、(3)そして、買付証明書が発行されている場合でも、現実には、その後、買付証明書を発行した者と不動産の売主とが具体的に売買の交渉をし、売買についての合意が成立して、始めて売買契約が成立するものであって、不動産の売主が買付証明書を発行した者に対して不動産売渡の承諾を一方的にすることによって、直ちに売買契約が成立するものではないこと、(4)このことは、不動産取引業界では、一般的に知られ、かつ、了解されていること、以上の事実が認められ<中略>右認定を左右するに足りる証拠はない。
【名古屋地裁平成4年10月28日判決】
不動産の売買、特に本件のように、住宅産業関連の業者が市街地をマンション用地として取得しようとするような場合では、代金額が高額に及ぶ上、権利の確保に万全を期する必要があることから、慎重に条件が煮詰められ、少なくとも、代金の支払時期と方法、引渡しと移転登記の時期と方法、不履行になった場合の処置等について合意されるのが通常であり、売買対象の不動産が特定され、代金額について合意ができたとしても、これによって売買の合意がなされたものとはいえないことはいうまでもない。
買受申込書に記載された事項は前記のとおりであり、手付金の支払時期さえ合意されておらず、残代金の支払が不動産の引渡し及び移転登記との引換えになされるとしても、地積更正登記ができる時期との兼ね合いからその段階では明確にできなかった事情にあるから、売買の条件が定まったとはいえず、その段階で契約が成立したとは到底いえない。
【東京地裁平成22年1月15日判決】
売買契約が成立したといえるためには,契約の中心部分の給付内容を確定できるだけの内容的確定性と,即時に効果を発生させ,その法的拘束力を引き受けるという意思を伴う合意の終局性を要するというべきである。
これを本件についてみると,前提事実によれば,被告らとA商事は,買付証明書・本件承諾書の交付の後,本件土地の売買について契約書を作成することを予定していたものである。
そして,本件承諾書交付の時点では売買目的物と代金額がおおむね確定されていたものの,本件土地の引渡方法,移転登記の時期などの不動産売買の一般的に主たる要素といえる点について確定していたことは認められないし,本件承諾書とその後の土地売買契約書案とでは,売買代金額の支払方法も異なっている(厳密にいえば代金額も異なっている)。更に原告がその主張において,本件土地の売却先の選定を極めて困難にした事由として挙げ,契約書案に記載されるに至っている埋設物処理の費用及び土壌汚染関係費用の負担に係る条項も本件承諾書には記載されていない。
また,代替地の取得は,原告代表者においても,一定期間内に取得できなければ当然売買契約が白紙になる旨供述するほどの重要性を有するものであるにもかかわらず,取得不能時の売買契約関係の処理も本件承諾書交付の時点において確定していなかったことが認められる。
更に,原告主張のように本件承諾書の内容で売買契約が成立していたとすれば,契約書案において,その後の手付金の交付,手付解除が予定されていたことは,成立済みで,完全な法的拘束力を有するに至っていた契約について,あえて約定解除権を設定するものであって,特段の事情がない限り不合理であるところ,特段の事情の存在は特に認められない。
これらからすれば,本件承諾書に「下記条件で…売渡すことを約します。」との文言の下,代金額とその支払方法が記載されていたことを考慮しても,売買契約の成立を認めるに足りる,給付内容の確定性,合意の終局性は認められない。
すると,被告らとA商事との間で本件土地の売買契約が成立したとは認められない。
|
2.基本合意書とは
より複雑な不動産投資スキーム等においては,前述1のような単純な買付証明書や売渡承諾書の取り交わしではなく,売買当事者間で基本合意書(基本契約書)を取り交わす場合もあります。
この点,基本合意書の内容にもよるので一概には言えませんが,基本合意書も,買付証明書や売渡承諾書と同様,その後に正式な売買契約の締結が予定されている限り,未だ正式な売買契約の成立とはみなされないのが通常です。
もちろん,この種の基本合意書に通常盛り込まれる秘密保持条項,暴排条項,優先交渉条項等については,基本合意書の締結自体により直ちに法的拘束力が生じるため,当事者は誠実に交渉する義務等は生じますが,売買契約を締結する義務が生じることはなく,最終的に交渉がまとまらずに売買契約の締結に至らなくても,双方とも損害賠償義務等を負うことは原則としてありません。
疑義が生じることを避けるため,多湖・岩田・田村法律事務所では,基本合意書には,有効期限を定めた上,次のような【条項例】を定めておくよう助言しています。
【条項例】
基本合意書は当事者に売買契約を締結する法的義務を生じさせるものではなく,有効期限内に売買契約締結に至らなかった場合でも当事者双方は損害賠償義務等を一切負わない。
|
|
| 結論 |
以上より,売主と買主候補者間で買付証明書(買受申込書)や売渡承諾書の授受がなされたとしても,これをもって売買契約や売買予約が成立したとはみなされず,また,最終的に売買契約を締結する法的義務も生じません。
|
| 実務上の注意点 |
3.他人物売買の原則禁止規定
宅建業法33条の2では,宅建業者は,原則として「自己の所有に属しない宅地又は建物について、自ら売主となる売買契約(予約を含む。)を締結してはならない」とされているため(なお,同条は宅建業者間の取引には適用無し。宅建業法78条2項),いわゆる他人物売買は原則として禁止されています。
もっとも,「当該宅地又は建物を取得する契約(予約を含み、その効力の発生が条件に係るものを除く。)を締結しているとき」は,他人物売買も締結することができます(同条1号)。
例えば,A所有の建物について,BがAとの間で売買契約を締結した後で,売買代金支払前(よって所有権がAからBに移転する前)に,BがCとの間で売買契約を締結することは認められます。
ただし,この場合,BはAと売買契約を「締結」していなければならず,前述1の買付証明書や売渡承諾書の授受又は前述2の基本合意書の締結だけでは未だ売買契約「締結」とは言えないため(前者につき岡本正治ほか『逐条解説 宅地建物取引業法(三訂版)』〔大成出版社 2020年〕340頁),この状態でBC間で売買契約を締結することはできません。
【宅建業法33条の2】
宅地建物取引業者は、自己の所有に属しない宅地又は建物について、自ら売主となる売買契約(予約を含む。)を締結してはならない。ただし、次の各号のいずれかに該当する場合は、この限りでない。
一 宅地建物取引業者が当該宅地又は建物を取得する契約(予約を含み、その効力の発生が条件に係るものを除く。)を締結しているときその他宅地建物取引業者が当該宅地又は建物を取得できることが明らかな場合で国土交通省令・内閣府令で定めるとき。
二 省略
【宅地建物取引業法の解釈・運用の考え方】(令和6年4月1日施行版)13頁以下
第33条の2第1号関係
1 「宅地又は建物を取得する契約を締結しているとき」について
売買契約の締結は、民法上は口頭でも可能であるが、宅地建物を取得する契約の存在は宅地建物取引業者が立証しなければならないものであるので、この点からは書面による契約が適当である。
2 「効力の発生が条件に係るもの」について
契約の効力の発生が条件に係るものについては適用除外とはしないこととしているが、ここに「条件」とは、いわゆる停止条件及び法定条件をいう。なお、農地法第5条の都道府県知事の許可を条件とする売買契約も「効力の発生が条件に係る契約」に該当する。
|
4.契約準備段階における契約締結上の過失
前述1のとおり,買付証明書・売渡承諾書の授受だけでは,未だ契約成立とはいえないものの,契約準備段階に入った当事者どうしは、一般市民間における関係とは異なり、信義則の支配する緊密な関係に立ち、のちに契約が締結されたか否かを問わず、契約が締結されるものと信じた相手方に財産的損害を被らせないようにする信義則上の注意義務を負い,正当な理由なくかかる契約締結上の利益を侵害した場合には、いわゆる契約締結上の過失が認められ、不法行為責任に基づく損害賠償義務を負う可能性があります(【最高裁昭和59年9月18日判決】【最高裁平成19年2月27日判決】)。
なお,この場合の責任を契約責任(民法415条)としている古い裁判例もありますが(【東京地裁昭和56年12月14日判決】),あくまで契約成立前の義務違反に起因するものである以上,基本的には不法行為責任(同法709条)と解するのが現在の判例実務の主流といえます(【東京地裁平成15年12月19日判決】【東京地裁平成18年7月7日判決】【東京地裁平成27年2月19日判決】【東京地裁平成30年3月19日判決】【東京地裁令和7年3月17日判決】。なお,契約準備段階における説明義務違反に関するものですが【最高裁平成23年4月22日判決】も参照)。
当該契約交渉が上記のような法的保護に値する契約準備段階に達していたか否か(すなわち,信義則上の義務の発生が認められるか否か)を検討するにあたっては,当該契約の性質や予定された内容等を踏まえ,交渉が重ねられ,主要な内容がほぼ合意されていたといえるか,契約書や覚書等の書面が取り交わされていたか否か,内金や証拠金等の金員の授受の有無,契約成立を前提とした対外的な折衝・手続等がなされていたか、契約締結や代金決済の日時が決められていたか等の要素から,交渉の成熟度が法的保護に値する段階にあったかを検討すべきと解されています(【東京地裁平成30年3月19日判決】)。
また,契約準備段階の過失が認められた場合,賠償すべき損害は,一般的には,「信頼利益」すなわち当該契約が締結されると信じて支出した費用等に限られ,いわゆる「逸失利益」(履行利益)の如く契約が現に成立し履行されることによって初めて保護されることになるものは含まれないと解されています(【東京地裁平成27年2月19日判決】【東京地裁令和7年3月17日判決】)。
もっとも,具体的に何をもって「信頼利益」とするかの判断は非常に曖昧であり,「逸失利益」であっても「当該契約が履行されると信じたために失った利益」として「信頼利益」に含まれると評価することも可能ですので(【東京地裁平成18年7月7日判決】参照),多湖・岩田・田村法律事務所では,具体的な損害の発生原因に鑑みて慎重に判断するよう助言しています。
【東京地裁昭和56年12月14日判決】※上告審である【最高裁昭和59年9月18日判決】でも踏襲。
被告は、契約締結上の過失は契約が締結されたことを前提とするものであると主張するが、取引を開始し契約準備段階に入つたものは、一般市民間における関係とは異り、信義則の支配する緊密な関係にたつのであるから、のちに契約が締結されたか否かを問わず、相互に相手方の人格、財産を害しない信義則上の義務を負うものというべきで、これに違反して相手方に損害を及ぼしたときは、契約締結に至らない場合でも契約責任としての損害賠償義務を認めるのが相当である。
これを本件についてみるに、先に認定した事実によれば、被告は、Aハイツ102号室の売買に関し昭和54年11月20日から原告との交渉に入り、昭和55年1月中旬頃既に基本的には本件物件がスペースの面で自己の希望する条件に適合しないとの結論に達していたにもかかわらず、その後電気容量が不足であることを指摘して原告をして電気容量増加のための諸行為(変電室を設けるための設計変更と施工、東京電力との契約内容の変更等)をさせ、原告から右変更の手続をしたこと及び約500万円の出費となることをきいても別段中止を求めることはせず、その後も2階部分の賃借交渉、見積書の作成を依頼するなど右設計変更を容認する態度に出ていたのであるから、自らの都合で契約締結に至らなかつた以上、右契約締結準備段階における行為により原告に生じた損害を賠償すべきものと考える。
【東京地裁平成15年12月19日判決】
※被告が売買代金及び手付金等並びに「5階部分自己使用希望」と記載した購入申入書を差し入れたことから,原告が5階テナントに損害金として50万円を支払うなどして賃貸借契約を合意解約した後で,被告が売買代金の値引を要求したことから売買契約交渉が決裂した事案。
被告は、原告との間で、本件土地建物の売買契約について、売買代金も決定し、契約条件が定まった段階に至って、結局売買契約を拒否することになるのに、原告に対し、本件建物の5階をどうしても明けて欲しい旨述べて、本件賃貸借契約の解約を求め、これにより原告が損害を被ったのであるから、これは、契約締結の準備段階において信義則上の義務に違反したというべきであり、不法行為責任を負うというべきである。
【東京地裁平成18年7月7日判決】
平成15年11月19日の段階で賃料はもちろん契約期間、保証金額、賃借対象階といった契約内容の主要部分については原告と被告間で合意が形成され、残った交渉の焦点は、原告の損害賠償責任制限条項、非常用発電機の利用等に絞られていたが、残ったものはさほど重要ではない事項である。
そして、原告と被告は、同年12月16日の打合せにおいて契約書の調印予定日を平成16年1月16日とすることで合意していることを考慮すると、遅くとも平成15年12月16日の段階では、契約締結の準備段階に入ったと言わざるを得ない。
原告は、被告に賃貸するために本件建物の14階及び15階に関しては賃借人の募集を停止しており、被告との賃貸借契約交渉が長引けば長引くほど、当該フロアを賃貸して賃料収入を得ることができない月数が増加し、得べかりし利益の喪失額が増大するという不利益を被る関係にある。
過去に遡って建物を賃貸し賃料収入を得ることは不可能であるから、かかる得べかりし利益の喪失は、将来回復する見込みのない損害である。
他方、被告は、賃貸借契約交渉が長引いても、当時入居していた建物の賃料支払いを継続するだけであり、特に支出額が増加するわけではないから、原告と比べると直接的に不利益を受ける関係にはない。
当然のことながら被告は、賃貸借契約交渉が長引いた場合の不利益がどちら側に大きいかについては認識していたと推認できる。
そうすると、上記認定したように契約締結の準備段階にあった被告は、原告が近く本件建物の賃貸借契約が結ばれるものと信じて行動することが容易に予想できるものである。
従って、被告は、信義則上、原告のかかる契約締結上の利益を故なく侵害しないように行動すべき義務を負っており、正当な理由なく原告の契約締結上の利益を侵害した場合には、被告にいわゆる契約締結上の過失が認められ、不法行為に基づいて、原告が将来賃貸借契約が締結されると信じたことによる損害を賠償すべき義務を負う。
<中略>
被告が本件建物の賃貸借契約を結ばなかった理由は、もっぱら会長の気が変わって本件建物への移転を承諾しなかったことに尽きるのであり、本件賃貸借契約の内容に問題があったためではなく、しかもジョンソン会長自身、平成15年9月30日に本件建物の賃借対象階を視察していたのであり、被告側は、その後4か月近く本件建物の賃貸借契約交渉を継続した後で、会長が承諾しないという理由で賃貸借契約の締結を拒絶したことは、到底正当な理由があったとは認められない。
<中略>
原告は、平成15年12月16日から本件建物14階・15階の新たな賃借人と賃貸借契約を結ぶことができた平成16年6月末までの期間について、かかる純粋実質賃料部分の損害を被ったことになり、その額は、1億5134万4623円である。
被告は、原告に対して、同額の損害賠償義務を負う。
上記判断で説示した賃料の特質を考慮すれば、損害賠償の範囲は、仮に信頼利益の賠償に限定されるという見解に立つとしても、契約が履行されると信じたために失った別の取引による得べかりし利益まで信頼利益に含むと解するのが相当である。
【最高裁平成19年2月27日判決】
上告人は,被上告人との間で本件商品の開発,製造に係る契約が締結されずに開発等を継続することに難色を示していたところ,被上告人は,上告人に本件商品の開発等を継続させるため,Aから本件商品の具体的な発注を受けていないにもかかわらず,被上告人が上告人との間の契約の当事者になることを前提として,平成9年12月26日ころ,上告人に対し,本件装置200台を発注することを提案し,これを正式に発注する旨を口頭で約し,平成10年1月21日に,本件装置100台を発注する旨等を記載した本件発注書を交付し,同年6月16日に,本件装置を10か月間,毎月30台を発注する旨等の提案をした本件条件提示書を送付するなどし,このため,上告人は,本件装置100台及び専用牌の製造に要する部品を発注し,専用牌を製造するために必要な金型2台を完成させるなど,相応の費用を投じて本件商品の開発,改良等の作業を進め,7月分商品を製造し,これを被上告人に対して納入したというのである。
これらの事実関係に照らすと,被上告人の上記各行為によって,上告人が,被上告人との間で,本件基本契約又はこれと同様の本件商品の継続的な製造,販売に係る契約が締結されることについて強い期待を抱いたことには相当の理由があるというべきであり,上告人は,被上告人の上記各行為を信頼して,相応の費用を投じて上記のような開発,製造をしたというべきである。
そうすると,被上告人は,Aから本件商品の具体的な発注を受けていない以上,最終的に被上告人とAとの間の契約が締結に至らない可能性が相当程度あるにもかかわらず,上記各行為により,上告人に対し,本件基本契約又は4社契約が締結されることについて過大な期待を抱かせ,本件商品の開発,製造をさせたことは否定できない。
上記事実関係の下においては,上告人も,被上告人も,最終的に契約の締結に至らない可能性があることは,当然に予測しておくべきことであったということはできるが,被上告人の上記各行為の内容によれば,これによって上告人が本件商品の開発,製造にまで至ったのは無理からぬことであったというべきであり,被上告人としては,それによって上告人が本件商品の開発,製造にまで至ることを十分認識しながら上記各行為に及んだというべきである。
したがって,被上告人には,上告人に対する関係で,契約準備段階における信義則上の注意義務違反があり,被上告人は,これにより上告人に生じた損害を賠償すべき責任を負うというべきである。
【最高裁平成23年4月22日判決】
契約の一方当事者が,当該契約の締結に先立ち,信義則上の説明義務に違反して,当該契約を締結するか否かに関する判断に影響を及ぼすべき情報を相手方に提供しなかった場合には,上記一方当事者は,相手方が当該契約を締結したことにより被った損害につき,不法行為による賠償責任を負うことがあるのは格別,当該契約上の債務の不履行による賠償責任を負うことはないというべきである。
なぜなら,上記のように,一方当事者が信義則上の説明義務に違反したために,相手方が本来であれば締結しなかったはずの契約を締結するに至り,損害を被った場合には,後に締結された契約は,上記説明義務の違反によって生じた結果と位置付けられるのであって,上記説明義務をもって上記契約に基づいて生じた義務であるということは,それを契約上の本来的な債務というか付随義務というかにかかわらず,一種の背理であるといわざるを得ないからである。
契約締結の準備段階においても,信義則が当事者間の法律関係を規律し,信義則上の義務が発生するからといって,その義務が当然にその後に締結された契約に基づくものであるということにならないことはいうまでもない。
このように解すると,上記のような場合の損害賠償請求権は不法行為により発生したものであるから,これには民法724条前段所定の3年の消滅時効が適用されることになるが,上記の消滅時効の制度趣旨や同条前段の起算点の定めに鑑みると,このことにより被害者の権利救済が不当に妨げられることにはならないものというべきである。
【東京地裁平成27年2月19日判決】
原告と被告らは,本件土地の売買契約の締結に向けた交渉をし,本件協定の締結を経て,契約準備段階に入ったところ,被告らが,本件協定を受けて,本件土地の測量に協力し,生産緑地指定の解除を申請するなどしたことにより,被告らとの売買契約が締結されるとの期待を原告に生じさせたものと認められるから,後に売買契約が締結されるか否かを問わず,被告らは契約が締結されるものと信じた原告に財産的損害を被らせないようにする信義則上の注意義務を負うに至ったというべきである。
ところが,その後,本件協定の効力を否定し得る事由がないのに,被告Aはその事由があるものと軽信して本件協定を解消する旨の意向を示し,被告B及び被告Cも被告Aに同調して,原告との交渉を一方的に打ち切ったものと認められるから,被告らには信義則上の注意義務違反があるといえる。
また,被告らの上記対応は,原告の売買契約成立への期待を侵害するものであり,少なくとも過失による不法行為を構成するというべきである。
契約準備段階における信義則上の注意義務違反を理由とする損害賠償責任において認められる損害の範囲については,その義務違反の内容等に照らし,当該契約が締結されると信じて支出した費用等(信頼利益)に限られると解するのが相当である。
そして,いわゆる契約締結上の過失について不法行為に基づき損害賠償請求をする場合においても,上記の損害賠償責任との均衡から,認められる損害の範囲は信頼利益に限られるものと解すべきである。
そうすると,被告らの契約準備段階における信義則上の注意義務違反ないし被告らの不法行為に関しては,原告が被告らとの間で本件土地の売買契約が締結されると信じ,測量登記業務・開発設計業務代金として支出した96万6000円が損害として認められるにとどまり,原告が主張する本件土地の開発により得べかりし利益(経常利益)3293万3000円については,損害とは認められない。
【東京地裁平成30年3月19日判決】
契約の成立に向けて交渉を行っていた当事者間においては,当該契約の成立にまで至らなかったとしても,交渉の結果に沿った契約の成立を期待し,準備を進めるのが当然と見られるような段階に達した場合,すなわち法的保護に値する段階に達した場合には,交渉当事者はその成立に努めるべき信義則上の注意義務を負い,その一方がその責めに帰すべき事由によって契約の成立を不能にした場合には,他方当事者に対する不法行為を構成する場合があると解するのが相当である(最高裁昭和55年(オ)第148号同58年4月19日第三小法廷判決・集民138号611頁及び最高裁昭和59年(オ)第152号同年9月18日第三小法廷判決・集民142号311頁等参照)。
そして,当該契約交渉が上記のような法的保護に値する段階に達していたか否か(すなわち,信義則上の義務の発生が認められるか否か)を検討するにあたっては,当該契約の性質や予定された内容等を踏まえ,交渉が重ねられ,主要な内容がほぼ合意されていたといえるか,契約書や覚書等の書面が取り交わされていたか否か,内金や証拠金等の金員の授受の有無,契約成立を前提とした対外的な折衝・手続等がなされていたか、契約締結や代金決済の日時が決められていたか等の要素から,交渉の成熟度が法的保護に値する段階にあったかを検討すべきと解される。
【東京地裁令和7年3月17日判決】
〔1〕被告は、令和元年7月に本件確約【※原告は、被告が当時所有していた各土地のうち約2500坪に特別養護老人施設を設置・運営する事業のために被告と協議し、令和元年7月、被告が本件事業のために原告に本件各土地を賃貸する旨の確約】をし、更に同年11月には千葉県知事宛てに原告への賃借権,地上権を設定することについての各誓約書を提出しており、この時点では、所轄庁との関係ではもとより、原告に対しても、原告への借地権の設定について何ら消極的な態度を示していないこと、〔2〕本件事業に関する所轄庁への審査等は、特段の問題もなく、設置認可の事前承認を得るとともに、4億5800万円もの補助金の内示を受けるに至っており、順調に進ちょくしていたこと、〔3〕被告は、令和元年6月以降、A【※原告から本件施設の基本設計業務を受託した業者】から複数回にわたり本件施設の概要図等を示されて説明を受け、測量にも立ち会っているところ、原告が計画している本件施設の構造、あるいは敷地の位置等につき把握しながらも、具体的な意見を述べておらず、これらの点について明確に意見を述べ始めたのは上記内示等も了した後の令和2年8月下旬になってからであること、〔4〕被告が原告に対して本件措置【※保証人を立てるか保証金を差入れさせるなどの措置】を求めたのは、同年10月13日の被告ら代理人の書面が初めてであり、原告がこれを受入れなかったことを原因として借地契約の締結が不成立に終わり、本件同意にも至らなかったことが認められる。
原告としては、少なくとも令和2年8月下旬までは、本件確約書、前記各誓約書を踏まえた内容で、若干の修正はあり得るものの、借地契約が締結されるものと信頼して、本件事業の遂行に向けて具体的な作業を実施していたものであって、同月下旬から被告から種々の要求がされるようになったものの、借地契約の不成立が確定していたものではないところ、上記の経緯に照らし、原告が前記の信頼を抱いたことについては相当の理由があるというべきである。
したがって、被告は、信義則上、原告に対し、合理的な理由がなく、上記の信頼を損ない原告に損害を被らせることのないよう配慮すべき義務を負っていたものと認めるのが相当である。
<中略>
一般論として、借地契約において、賃貸人が借地人の賃料支払義務、明渡義務等を担保するために連帯保証を求めること自体は不自然ではないが、被告において、従前、そのような要望を述べることなく、本件施設の建築を含めた本件事業計画が相当程度進行した中において(被告も当然、このような状況を相当程度把握していたものと認められる。)、突如、本件措置を求めたものであり(ところで、被告は、この過程で、原告に事前の説明もなく本件各贈与という借地契約の当事者の変更を招く行為をしている。)、かつ、本件措置の不許のみを理由として借地契約を峻拒する被告の対応は、上記のような信頼を抱いていた原告との関係においては、信義則上の義務に違反したものと認めるのが相当であり、被告は、借地契約の締結を信頼したために原告が支出した本件事業計画の準備費用等について不法行為による損害賠償責任を負うというべきである。
<中略>
その上で、被告が負うべき上記の義務違反と相当因果関係を有する損害の範囲について検討するところ、被告の前記属性、過去の特別養護老人ホームの計画がとん挫したとの経験のほか、原告又はHとの説明、折衝経過等に照らせば、合理的な理由なく原告との借地契約の締結を拒絶した場合には、原告が本件事業計画のために出捐した費用が損害になると予見することは可能であったといえるところ、原告が現実に出捐した〔1〕被告も立ち会った測量費用(110万0550円)、〔2〕地質調査費用(121万0550円)及び〔3〕基本設計費用(2035万0880円)は、いずれも本件施設の建築を含めた本件事業計画の遂行のために必要なものであるから、相当因果関係を有する損害として認めるのが相当である。
<中略>
〔4〕逸失利益(3200万円)については、借地契約が現に成立することによって初めて保護されることになる利益であって、借地契約が締結されるであろうと原告が信頼したために被った損害と評価することはできない。
※【 】内は筆者加筆。
|
※本頁は多湖・岩田・田村法律事務所の法的見解を簡略的に紹介したものです。事案に応じた適切な対応についてはその都度ご相談下さい。
|
|